14_血と肉を分けた者

血と肉を分けた者 (講談社文庫)

血と肉を分けた者 (講談社文庫)

どこの国にも触られたくない暗闇な部分がある。若者の犯罪の増徴など特にあてはまるのではないだろうか。アメリカだけでなく、イギリスにだって少年犯罪、それも性犯罪絡みの殺人事件も存在する。現代では小説という媒体で抉り出されるそれらの犯罪の多くは、アメリカでしか発生していないような錯覚に陥る。その手の小説の舞台がアメリカのスラムだったり、翻訳される作家、作品がアメリカのものが多いからであろう。
ただし、本作の舞台はイギリスだ。事件当時16歳の少女を辱めたのちの殺害した少年が、13年ぶりに仮釈放される。その少年を逮捕した元警部は、少年の仮釈放を機に、少年がかかわっていたと思われる少女失踪事件の捜査を再会する。

仮釈放された少年(13年も服役していたので、仮釈放された時点で30歳を過ぎたため少年という呼び方が当てはまるかは微妙だが)は、新生活にも馴染めず、世間からの抑圧を感じ、行方不明となってしまう。レイプ殺人犯というレッテルから、前述の少女失踪も、既に少年が殺害してどこかに死体を捨てたはずだと決めてかかる世論。それに輪をかけて、新たな少女殺しが発生し、行方を晦ました少年への疑い、もはや思い込みによる決め付けが世論を染めて行く。マスコミを通じたこの手の洗脳は、世論を一方に押し流すには十分過ぎるほどのエネルギーを生む。そんな中、主人公の元警部の娘が誘拐されてしまう。本当に犯人は仮釈放された少年なのだろうか。

人が持つ過去と、その人に対する思い込み。さらにはマスコミによる洗脳。群衆心理とは恐ろしい物である。言論の自由。報道の公正さと正義性。言葉や文字にするとそれなりに見えるが、実際の使い方によってはナチス政権下のプロパガンダそのものである。作中で描かれている少年犯罪も歯止めをかけなければ、恐ろしい問題だが、それ以上に市民に向けたプロパガンダの恐ろしさを、この作品で実感するのは行き過ぎなのだろうか。あとがきで書かれている親子の絆と言うテーマは、この作品内でどこか救いを求めようとして出てきたテーマだと感じるのだ。根底に流れる物が、重く社会へ投げかけてくるが故に、CWAのシルバーダガーを受賞したのだと信じたい。単なるミステリ小説ではない、現代の社会派的要素が含まれている。

2006/06/20 asuka