65_僧正殺人事件

だあれが殺したコック・ロビン? 「それは私」とスズメが言った──。四月のニューヨーク、この有名な童謡の一節を模した不気味な殺人事件が勃発した。マザー・グース見立て殺人を示唆する手紙を送りつけてくる?僧正?の正体とは? 史上類を見ない陰惨で冷酷な連続殺人に、心理学的手法で挑むファイロ・ヴァンス。(表紙より)

今更言うまでもないが、ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』とならぶ2大巨頭。3作目、4作目とちょうど小説として完成され、ミステリ的にも冴え渡っていた時期だったのかもしれない。が、本当に2大巨頭としてカウントして良いのか。
本作は連載小説ということあってか、終始物語が動き続けている印象を持つ。マザー・グースの見立てた連続殺人が始まるが、最初の殺人は効果が大きかったが、第2、第3の殺人は見立てにこだわるあまり、窮屈で発展性のなさがある。そのせいなのか、所々でも取り上げられているが殺人の動機がまったくもって理にかなっていない。ヴァンスが苦し紛れにそう結論づけたのではないかと思われるくらいに破天荒なものなのだ。動機についてノーアイデアが祟って、犯人との心理戦を装った上にヴァンスのあの行動。連載小説だったからなのか、一番の見せ場を作る必要にかられて無理やりにどんでん返しを仕掛けたのもダインの苦肉の策だったのだろう。結局、最後の最後でヴァンスが事件全体の総括をするが、それに対しての採点が小説内ではされておらず、登場人物が「ヴァンスは過去3つの事件を解決したのだから今回もヴァンスの総括が正しいのでしょう」という日和見的に纏めてしまう。所詮、ヴァンスの推理の粋をでない説明なので、正直ヴァンス自体も見立て殺人についての動機の説明付けがわからなかったのではないだろうか。イコール、作者自身が動機に対して、さほど重きをおかず、見立て殺人というプロットだけを用いて、究極の一発勝負をかけたと推測されるのである。
結果的にその一発勝負が功を奏した。本作に先駆けること5年前にイーデン・フィルポッツがハリトン・ヘキスト名義で『誰が駒鳥を殺したか』を発表している。この作品もマザー・グースの同様の見立て殺人を取り扱っているが、見立て殺人としての要素が少ない。そもそも『誰が駒鳥を殺したか』はミステリというよりも恋愛群像小説としての色が濃いと思う。そこにもってきてミステリ作家としての知名度があるダインがマザー・グースの見立て殺人を完成させた。このタイミングが本作を見立て殺人の祖とすることに成功し、ダインの2大巨頭としての評価に繋がったのだろう。
上記はすでに数多の有名評論家が語り尽くしているので、殊更書かなくても良いと思うが、再読した機に吐き出してみたまでである。

2014/11/10 asuka