07_悪魔のヴァイオリン

悪魔のヴァイオリン (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

悪魔のヴァイオリン (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ダメなものをダメといえることも大事なことだ。
10人いれば10人の本の読み方があり、感想がある。この作品を面白い、素晴らしいと評価をしたパリ警視庁賞の選考委員(パリ警視庁刑事局長が主宰らしい)と私の感覚の差が大きかっただけなのかも知れない。

物語は日曜日のミサの前に司祭が教会近くの自宅で、殺されているのが発見されたところから始まる。そして同じ頃、自分を密告した売春婦へ復讐を公言する強盗団のリーダーが脱獄する事件が起きる。この両事件に携わるメルシエ警視は、司祭殺しは容疑者となった若いバイオリン奏者のしわざとは思えずにいる。さらに、強盗団のリーダーを密告した売春婦に好意を抱いているのだが、メルシエ警視しか信頼しない売春婦を囮に脱獄した強盗団のリーダーをおびき出す作戦実行のため、売春婦を説得しなければならない。結果的に脱獄囚をおびき出すのは成功するのだが、とりのがしてしまったうえに売春婦は怪我を負うことになる。そんなさなか、司祭殺しの方では、自分が司祭を殺したとバイオリン奏者が住むアパートの管理人である老婆が訪ねてくる。といったあらすじ。

では、何がダメなのか。ストーリーに一貫性がない。司祭殺しも脱獄も中途半端で、どちらを本筋で書きたかったのかが伝わってこない。それに、司祭殺しと脱獄の話が融合してこない点は、大きなマイナスだと考える。二つの事件が繋がらないことで、話に膨らみが見られない。さらに、司祭殺しでは捜査の過程、脱獄の方では脱獄囚を追い詰める過程といった肝心なところが全く書かれていないのである。なんとも読みどころがないのがダメだしの原因だ。いっそのこと、二つの事件を長編(といっても150ページしかないので中編ということになるのだろうが)に押し込むのではなく、短編としてそれぞれの事件を丁寧に書いたほうがよかったのではないだろうか。
賞を受賞した作品が優れものとは限らない。

2006/01/22 asuka